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工場の建て替え

2001年10月 2002年1月
2002年6月 2002年10月

創業者が建築し約50年経過し、住宅と工場が一緒の町工場です。
日常不便は一切無いのですが、実は相当おんぼろなのです。
やはり会社として建替え時期にきているようです。

2000年1月に創業者が98歳で死去し、それを機に12月初め工務店に連絡をとりました。
いずれお世話になると思い、1年ほど前から知人に紹介してもらっていたA工務店です。
工場付き住宅、修理ではなく建替え、しかも工場を稼動しながらという条件つきで相談したいと伝えました。
2度ほどきて、ここの条件は承知しています。

話はさっそくつまずきました。
電話をしても来ないし催促すると留守中に来て工場許可書と土地の図面を用意してくださいとの伝言。
こうして2000年はすぐ終りました。


21世紀がはじまりました、どんな年になるんだろう。
年明けすぐにA工務店に、工場許可書と土地図面を用意してから連絡をする。
電話では、良い感じのオヤジさんが出て、戻りしだい連絡させますと言ってくれたのに、やっぱり駄目でした。
全然音沙汰なし、もうA工務店はやめにします

さて次はどこにお願いしようかな、先先代から付き合いのある近くの工務店に相談しようか。
しかしここは一度も安かったことがないし、そんなに仕事をしている様子が無いからやめにしよう。
地元では名を売っていて、建替える時はお願いしようか、と言っていたあそこも、2年ほど前潰れたし・・・。
自分の仕事ではどこが安くて良いものを提供してくれるか判っている。しかし建築、建替えとなると全く無知だ。
インターネトでも探し立派な会社があるなあ・・とは思うが、どうも電話する気になれない。

家内は趣味でバドミントンをしている。
仲間で工務店の事務をしている人がいて連絡をとってもらうと、早速会社案内を届けてくれる。
写真付の案内書をみるとナカナカ良い仕事をしているようだ。
そして打ち合わせ日時もきまり、1月23日に会社まで来てくれた。

このB工務店の社長は一流大学出の大工の棟梁で、一級建築士である。
自ら言うとうり現場仕事をしている手だ、頼もしい。
修理ではなく建替え、しかも工場を稼動しながらとの条件が余程気に入ったのか、
どんな構造が良いかとか、ここまでの資材の持込をどうしようとか、稼動させる機械はどれどれですか、
建築許可ではどうだとか次々に前向きな検討課題を話していき前途は明るい気がしてきた。


B工務店と2月初旬に2回目の打ち合わせをおこなう。
Bさんの大学の友人で、元大手ゼネコンにいて今は独立したC設計事務所の社長さんも同席する。
どんな工法で行うか、どう進行させるか、過去において1階で営業中の銀行を建替えた話や、
築地市場もやはり進行させながら出来た話やらしていて、良い工務店に会えて良かったと心から感じる。

しかし盛りあがりは良いのですが一体幾らくらいかかるんでしょううね?と終わりの頃聞いてみると、
何とも答えようが無いようなので、こちらから1億円とか2億円とかとんでもない金額を投げてみたところ
まあそれくらいはかかるでしょうね・・・・・・・・・・・。
そんなに儲かる仕事してないのに・・・・・、打ち合わせの後、すぐに役員会議をしてしまいました。
そして建替えは資金はこれくらい、という事実がはじめて明確になってきた。


ウチの会社Kさんのご主人は、高級住宅専門の工務店につとめています。
一度釣りに行った事もあり今回の件でアドバイスを求めると、2月の中旬の土曜日多くの資料持参で来てくれる。
そして3時間ほどの話の中で判って来た事は
@2から3社に見積もりをしてもらう、見積もりは大変だが費用はかからない。
A見積もりも詳細にわたって提出してもらう(具体的資料を見せてもらったが、本当に細かい)。
B住宅展示場に出かけ、資料を収集したほうが良い。
C住宅の場合、良いものが建てたいと少なくとも坪単価¥60万位はかかる。
Dどんな工場、住まいを持ちたいかイメージを作りなさい。
E施工中はチェックを怠らない。

漠然とした立替えがまたぐっと身近になり翌日、世田谷区の東名入り口にある瀬田の住宅展示場に出かける。


大手ハウスメーカーとの出会い

住宅展示場に来たのは生まれて初めてです。
自分が家を建てることはまず無いであろう、住むならマンションが気楽と考えていたからです。

入ってすぐのDハウスにまず入る。何にも知らないから次々と質問をしてしまい2時間ちかく話をしてしまった。
他にも10軒近くの展示住宅が有りましたが、一番目でエネルギーを使いすぎ他は全て端折って見てしまう。
安くてかつ高品質をとことん追求しており、普段私たちがモノ作りで得意先から求められている形を実現していた
SバイLの会社が一番身近に感じた。しかしすべてのモデルハウスが素敵でそれなりに感動も有りましたが、
工場と住宅を一緒に建替えることを想像したときどうもピンと来るものが無く実現性に乏しい気がした。


2,3日後、早速Dハウスがやってきた。所長さんも一緒だ、どうも私がカモに見えたのだろうか。
Dハウスは日本で1,2の大手で、主に相手の質問に答え、時たま私が質問をしたりの淡々としたやりとりで、
週末に測量に来る事になる。そして週末、寒い中4名で3時間程度測量して帰る。
私も知らない事が多く、Dハウスが今後どんな形で私たちに提案をしてくるのか実は興味があった。

約2週間後の3月8日、5名でやってくる。
3階建てのイメージ画を用意し住宅の説明が始まるが、これが良く出来ていて、面倒な人はこのまま進めてくださいと言ってしまうかもしれません。しかし肝心の工場部の説明はない。
私は工場が建たないことには話しにならないから、聞いていくうちにだんだん不快感が生じていた。
説明の後、同伴の一級建築士と大森の大工の棟梁が工場の中を観察し、ここから切断は可能ですね、
などと確認している。工場はどうなりますかね?と質問するとどうも壁紙を張り替えるような感覚の改修で済ますらしい。
工場が新築されない提案だったので、2日後お断りする。
余りのトントン拍子の話の進み方なのでアットいうまの出来事だったが、もう3月に入ってしまった。


大学の先輩で青年、いや中年実業家のYさんがいます。横浜で不動産業を行なっていていつもお世話になっています。
今年になってからその先輩がそれとなく気にしてくれ、電話をかけて来てくれました。
B工務店のこと、大手ハウスメカーのこと色々話す事もあったので、休日に家内と横浜に出かけ昼食に中華を食べながら
家談議をしているうちに、頼りなくみえたのでしょう、近じか建築家のSさんを紹介していただく事になる。

大手ハウスメーカーがプランニングしている頃、2月19日Y先輩がSさん同伴で会社まで来てくれる。
Sさんは立派なホテルまで設計したデザイン優先の建築家で、姿かたちからは芸術家である。
何を話したかあまり覚えていないけれど、彼が設計をし彼が知っている数社の建築会社に見積もりをしてもらい、
その中から建築会社を選定し、そして建築状況をチェックしながら完成させていく、との内容でした。
最後に現在の工場を案内したところ、うなぎの寝床の様だったのでしょうか、どう言ったら良いのか苦慮したのでしょう
「この家屋には一杯歴史が詰まっているね」と、先輩が漏らしました。
確かに、20年前私が入社した時でさえ田舎の納屋の中で仕事をしているようなのが、第一印象でした。
慣れとは恐ろしいもので、建替えることにした今となっては無駄が無く良く出来ているもんだとけっこう気に入っています。


Sさんとの仕事が始まる。      

人の繋がりがなぜか大きな信頼となり、頼り切ってSさんとの仕事が始まった。
さっそくB工務店に、予算の件と助っ人のSさんの出現を伝えると、
家について色々説明してきましたが、何にも理解してくれなかったのですね。」との意味のあるFAXが届きました。
余りにも予算がかけ離れすぎていたようで、あっというまにB工務店が去っていきました。
この日は2月28日で、これからは、もうSさんと一緒に行くしかなくなりました。
またやっと腹も据わり、実質3月1日からが本当のスタートになる。

近所のプレス協力会社にK製作所があり、バブルの頃に建替えを済ませています。。
工場を継続したまま建て替えたので、どのように進めたのか聞きに伺いました。
まず半分をつぶし完成させた後、残りを同様にして完成させたそうで、話し合いましたが
1階を操業しながら2階を作り上げていくことは、相当大変であるということになる。

Y機械のIWさんは親切な人で、丁度空いている川崎の工場の話をしてくれた。
出来る事ならこれを選択したい、IWさんなら費用も納得の範囲だろうし確実だ。
現在の場所を更地にして建て直すのが一番良いし、その道も有るのだが・・・・・。

@川崎に仮工場を据えた場合、まず協力会社が納品に来れない。
A得意先への納品を始め、資材調達が相当不便になる。
Bメッキ、塗装つき等の短納期の部品や緊急品を製作するのに、ここが一番便利である。。
C工場ごと動かすと電気、機械、、電話、通信など障害が測りしれず、何日間かは操業停止となる。
  これは致命傷である。
Dリードタイムが短い今、動きが悪い会社では話になりません。

そんな訳で、操業しながら建て直すには、ここの場所でK製作所スタイルで行なうことにする。


下準備の始まり

2001年

4月  近所に倉庫を借り、金型の移動開始。3週間かかる。
5月  測量事務所で改めて正確な測量をおこなう。
6月  近くのO工務店に金型倉庫を金型作業場に改造してもらう。
6月20日と30日の2回で金型機械の移動。機械屋さんが腰を痛めて入院する。
7月  O工務店の2回目の作業、主に空調対策。
7月13日  建築許可申請。
7月19日  工場新築申請。
8月17日、18日、19日電気移設工事。
8月19日  60トンプレスとその他のプレスを移動。
8月22日  電話の移設。
8月23日  社内LANの移設。
8月24日  建築、工場許可下りる。
9月 3日  建築4社の方に来ていただき図面を渡し見積もりを依頼する。
9月11日  アメリカNYのビル、テロによる破壊。
9月29日  近隣への挨拶まわる。
10月19日  建築会社決定する(調印式)。
10月30日  最終電気工事。
11月1日  解体k工事始まる

建築会社の選択は、設計のSさんの地元の3社から見積もりをいただき、T建設に決めました。
Sさんも私も好感度が良かったことと、価格が協力的だったことが主な理由ですがそれでも予算オーバーになり
余計な部分はすべて削り再度検討してもらいました。
が、それでもまだオーバーしていましたので副社長に直談判の上やっと決定しました。



当社の社員には相当犠牲を強いている。大変申し訳無いのだ。
冬はこの寒さで春まで持つかな、といった不安が暖冬のおかげで01年12月が最高に寒さを感じた。
幸いというか、仕事がとても暇で生産と納品で大きな迷惑をかけることなく例年にない早い春をむかえる。
しかしきっちりとした仕事をしているつもりでも品質の乱れが若干発生し、得意先2社が相次いで来社する。


1月14日  鉄骨の搬入
2月 5日  上棟式、雨の降る寒い日でした。
4月上旬  浜松から、1日おいて一関から得意先来社。とても狭い場所での対応になる。
5月中旬  第1期分の完成、仮社屋から機械・部品・事務所移動、併せてNTT,LANの工事。
5月27日  第2期分、解体工事始まる。
6月30日  W-Cupサッカー西ドイツ・ブラジル戦。会社2Fの住宅部入居する。


問題は半年後にもっと大きな試練が待っていた。
連日33度を越す暑さの中、毎日クーラー無しで仕事を行なっています。
工場長は入社依頼30年初めてで、毎日暑さにこたえています。顔の表情を見れば解ります。
T建設さん、何とかしてよ。毎日祈る日々が続いていますが、旧盆過ぎまでこの状態のようです。
この暑さの中、クーラー無しで仕事をさせてカタジケナイ。


7月初旬  暑さがきつくなってきた。氷水を常時設置する。
8月 8日  区役所、消防の立会い検査。数日後、合格通知いただく。
8月14日  クーラー取り付け完了、暑いピークは過ぎていた。
8月30日  物流部と在庫の移動。
9月 2日  事務所の引越し。
9月 3日  形式上、建築引渡し終了。
9月20日  区役所環境課の立会い。
9月30日  4丁目に借りていた倉庫を引き渡す。金型の移動が特に大変で2名で作業し10日はかかる。
10月 2日 品川区より工場認定書をいただく。
10月27日 エアー配管工事終了する。毎週土曜日少し残った工事を行う。
11月 2日 キュービクルのやりのこし電気工事が完了、全ての工事が完了する。丁度1年が経過した。


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